脆弱



紺碧の空に のんびりかがやく春の陽光 

雪洞(ぼんぼり)のようにゆれる 枝垂れ梅の紅い花房

黄色い花粉にまみれて 椿の蜜を吸っている ヒヨドリ

 

暖かい春風に 幼い日々の囁き声が谺(こだま)し 

高い煙突から 昔の夢が立ち昇る

春の香りのなかに だんだんと魂がとけてゆく

 

欠伸がでそうな 気持ちのよい春日に

なぜかしら ふとよぎる 生命の脆弱な不安

こころに疼(うず)く 戻らない日々

 

孤独の影にも 春はめぐりきて

わたしの有限は いつかは無限に還る

そのあとには 何もない

 

 

奈津光平の詩「脆弱」より

 

 

 

雑踏


 

強烈に照りつける 真夏の太陽

大都会の終着駅から 吐き出された群衆

人混みに噎せ返る 喧騒のあふれた雑踏

 

熾烈な陽光を がんがん浴びながら 

わたしは むらさきの雑踏を歩いてゆく

だれも わたしに 気をとめない

ぼんやりとした 無言のときは

とても 気持ちがよい

 

雑踏の中にいると

社会と繋がる 孤立しない孤独を感じる

そこでの 人間関係は 

通行人と すれ違うこと 

同じ電車の座席の 横に座ること

そんな 社会と接してはいるけれど

わたしとは 全く無関係の人間の暮らしが存在している

 

わたしは

誰とも喋りたくないし 他人に触れられたくもない

こんな 悶々とした憂鬱な日々のなかの 

わたしの唯一の居場所は 人間は存在しているけれど 

それらから何の圧迫も受けない 雑踏の群れのなかである

 

         奈津光平の詩「雑踏」より

流浪


 

紺碧の大空から 金色の陽光が 

わたしの背中に さわさわと降りそそぎ

おさない命の光る水田に さわやかなみどりの風が吹きわたる

 

太陽の孤独を感じながら  

遠いまぼろしの故郷を探しに どこまでもさまよいゆく

ふと 

赤い花のゆれる夾竹桃のような 寄る辺のない不安に襲われて

生命の暗闇の深淵を そっと覗いてみると

生まれてきた哀しみに 無垢な魂が さめざめと慟哭していた

 

もうどこにも 魚釣りをして遊んだ 故郷はないけれど

この砂埃の舞い散る白い地道を 入道雲の果てまで歩いてゆけば

きっと 容赦なく真っ赤な太陽が降り落ちる 終焉の土地にたどり着くだろう

 

そこに わびしい茅葺の庵を結び 透明な蛍火が揺れる 

露草の影で いつの日にか 光になることを夢見ながら 

さみしい陽炎のように ひっそりと暮らしてゆきたい

 

                奈津光平の詩「流浪」より

魂魄の命ずるままに


 

空は 底抜けに青く

ぶ厚い積雲の端が ぎらぎらとひかり 

稠密な空気を透過(とうか)して 黄金に輝く太陽光線

 

あたり一面に まぶしい光はあふれ散乱し

白百合の匂いのように 空気は甘くうるおい

柔らかい風に揺れる 紡錘形のメタセコイヤの若葉

 

こんな つややかな心地よい日は いつもより 

わたしは いっそう透明な孤独になって 

誰とも全く関わらない 贅沢なときを しんから堪能する

 

これから先 何があっても怖くない

夕闇の赤い欄干に凭(もた)れて 悩み慄(おのの)いていた

うすっぺらな飢餓の思念なんか もうどうでもよい

 

わたしは 

紫陽花に降るさみしい雨のような この老愁の道を

魂魄の命ずるままに どこまでも どこまでも歩いてゆく

 

 

    奈津光平の詩「魂魄の命ずるままに」より

 

 

無言


 

ゆるやかな山肌に うす暗い雲の影が ゆっくりとながれ

その山の麓を 秋の陽光にきらきら輝く 銀色の列車が 

夢のように 走り過ぎてゆき 

線路の傍らの ススキの穂が 秋風に揺れている

 

秋の光は 透明に照り輝き とても綺麗だ

野原の日溜りに うす桃色のコスモスが咲き誇り

心が だんだんと可憐になってゆく

 

生まれてきた哀しみを 癒(いや)すかのように

短い秋の落陽に 天際の高積雲が 真っ赤に染まり

冷たい夜気を孕んだ夕闇のなかに 夕焼けがしだいに消えてゆく

 

今に続いているはずの過去は どこにも見当たらないけれども

空虚な風の吹く 狭い路地裏の さみしい築地塀の影に

寄る辺のない 無言の一日が終わってゆく

 

 

奈津光平の詩「無言」より

 

 

紫陽花


 

泥水の水田に 夕陽がきらきらと照り映え 

くろいツバメの影が すばやく走る

遠くまで 小さな青い苗が風に揺れ 

新しい生命が 田圃のなかにひかっている

 

灰色の空に 残光がしたたりあふれ 

落日が 遠い地平に傾いてゆく

羊のように 淋しい夕暮れが あたりに忍び寄り 

ひんやりとした 夜気の匂いが 少しずつ混じってくる

 

やがて 

病院の廊下のような夜が さらさらと更けてゆき 

夜露のながれる 青い窓の向こうに 漆黒の闇がただよう

その深い暗闇の奥底から 魂を吸い取るように 杜鵑が鳴いている

 

ときおり 

黒い風音のなかに さみしい雨音が混じる

わたしの生存の前に生きていた人たちも 聞いていた雨音

遠い亡霊のような悲しさが 紫陽花(あじさい)の中に消えてゆく

 

 

 奈津光平の詩「紫陽花」より

 

 

 

セピア色の喪失


 

泥水がたまる 曲がりくねった道を 

黄金色の人影が 襤褸のように 

ふらふらと歩いている 

このセピア色の写真のなかの若者は誰なのだろう

この若者は私であるはずはない

私は私のままで少しも変わってはいないはずだ

 

私は いつも 孤独の中に逃げ込んでいた

孤高の壁を 碧天高く積み上げ 

ずたずたに引き裂かれた精神の傷口を 

獣のように真っ赤な舌で嘗め回し 

衰弱しきった神経は 死と紙一重のところで 

辛うじて癒されていた

 

私は誰にも心を開かなかった

心の中を土足で踏みにじられるのが たまらなく厭で 

無視と無関心の鎧を幾重にも纏い心を守っていた

 

それでも 私は一切のものを喪失してしまった

私は私を守ろうとしたことに守られていなかった

人と話をしたかった

話を聞いて欲しかった

心を打ち明けたかった

やさしさを求めたかった

 

満月が妖しく冷たい光を放ち 生暖かい風が 

生臭い匂いを運んでくる

 

井戸水をポンプでくみ上げ 顔を水につけながら 

ごくごくと水を飲み続ける

頭から水が滴り落ちて足元を濡らす

それでも 咽喉の渇きは癒されない 

 

冷たいコンクリートブロックの壁にもたれて 

萎んだ朝顔を見ていると 涙があふれてきて 

セピア色の写真が 遠い幻のように霞んで見えた

 

       奈津光平の詩「セピア色の喪失」より